大震災「3.11」を忘れない 9月20日 福島の被災地の現状を視察

日本青年会議所とのボランティア活動の翌日9月20日は、NPO元気になろう福島の本田紀生理事長と、被災地大熊町の木村紀夫さんの案内で、震災10年を経過した被災地の現状を視察しました。

まずは熊町小学校と熊町幼稚園を訪れました。
2011年3月11日午後2時46分から時間が止まったままです。廃墟となった熊町小学校と熊町幼稚園は「3.11」を忘れない為に、このまま残したいものです。また亡くなった二女の遺品や骨が見つかった場所、かつて家族で住んでいた住居なども巡りました。
木村さんは福島第一原発がある大熊町に住んでいました。そして「3.11」に被災しました。津波で、父親、妻、そして二女を失いました。そのお話を詳しく聞かせていただきました。被災当時、そして木村さんのこの10年を想うと、胸が詰まります。

木村さんは、「3.11」を風化させまいと、被災地・大熊町に住み続け、語り部として自らの辛い体験を語り続け、そして被災地を案内しています。その活動に心から敬服いたします。

さて「中間貯蔵施設」も見学させていただきました。汚染した土壌を集積し除染し使用できる土壌にして戻す作業が続けられています。一歩一歩、福島の土地が回復しているのです。

その後、海沿いにあった元ヒラメの養殖施設に行きました。高さ20メートルとも言われる津波に無残な姿になった建物。鉄筋コンクリートの支柱は折曲がり、さらに10年の歳月が木製屋根の躯体を蝕んでいます。静かで美しい太平洋と廃墟と化した建造物、その対比に言葉を失います。

今回の視察で、福島の復興について理解が深まりました。しかし住民が戻ってこれない、核のゴミの最終処分地は決まっていない、など課題は山積です。これらの課題解決には、さらに十年もの時間が必要かもしれません。そして廃炉に関しては、まったく先が見えていないのです。こうした課題は福島の課題ではありません。日本全国・全国民の課題であることを痛感しました。

無残な姿の養殖施設

亡くなられた二女について語る木村さん

汚染土壌の除染をする施設を見学

高台にある避難先の公民館も津波に遭う